UC患者さん 30代/罹病歴 約10年
最初の就職は、自分のやりたいことを優先。
2社目は自分の体調第一に。
今は、無理せず働き続けていきたい
20歳で潰瘍性大腸炎を発症したAさん。病気を抱えながらやり切った学生時代の就職活動。教員として働いた社会人1年目。そして、転職。仕事と病気の両立の難しさ、10年・20年後も働き続けるための選択など、リアルな声を伺いました。
大学時代に発症し、病名がわからないまま約1年。
治療後に就活スタート
私は20歳の時に発症しました。最初に行った小さな病院では診断がつかず、大学生活が忙しかったこともあり「病名もつかないし、たいした病気じゃないだろう」と楽観的に考え、他の病院にも行きませんでした。そのまま時が過ぎるうちに体調不良にも慣れていきました。若かったから無理もきいていたんだと思います。
ただ、症状がひどい時の局所療法として使っていた坐剤・坐薬が、だんだん効かなくなってきて…。今思えば、徐々に病変していたのかもしれません。それで、違う病院に行ってみたら「潰瘍性大腸炎」という診断でした。発症からすでに1年くらい経っていました。そこから初めて、薬による治療を開始しました。
治療によって寛解を迎えられた後で、就職活動を始めました。就活中は忙しくて再燃しかけましたが、なんとか持ち堪えて、やり切りました。私は就活の面接では、病気のことを直接的には言いませんでした。「お腹が弱い」「好き嫌いがあって食べられないものがある」など、あくまでも自分の性格、特徴、個性、趣味・嗜好のひとつのような伝え方で間接的には伝えました。
職場の誰にも病気のことを明かさず教師を続けたけれど…
無事に就職が決まり、中学校の教師になったのですが、仕事を始めてからは体調を崩すことが増えました。週に2回時間休をとったり、生理前も体調が悪くなりやすかったので生理休暇を使ったりして対応しました。時代の流れもあり、教員の世界でも働き方改革や有休消化などは奨励されていましたが、慢性的な人手不足なので、私が休めば誰かがフォローに回らなければいけません。
もちろん休むことをダメとは言われませんし、言葉では「大丈夫ですよ」と言ってくれます。でも、雰囲気が全然大丈夫ではなくて…。「お休みを他の日にできない?」と相談されても、体調不良をずらすことはできないから断るしかなくて、申し訳ない気持ちが募りました。病気のことは職場の誰にも言いませんでした。今でも、当時の同僚や上司も誰も私が潰瘍性大腸炎だったことは知りません。
一番辛かったのは、子供たちと一緒に食べなければいけない給食です。私のなかで「教師は子供と触れ合う仕事。みんなのお手本でいなきゃいけない」という気持ちがありました。体調を管理するために普段から食べるものには気を使っているのですが、「食育」の一環で「食べ物を大事にしましょう」と教えている私が給食を残すわけにはいかない…。でも、私にはお腹の調子が悪くなってしまう食べ物があって食べられない…。無理して食べれば体調を崩してしまう…。そのせめぎ合いがとても辛かったです。
仕事自体はすごく楽しかったですし、やり甲斐もありました。職場環境としてもそんなに悪くはなかったと思います。給食が子供たちと一緒に食べなくていいスタイルだったら違ったかもしれませんが、10年後20年後を考えた時に、この生活は続けられないと思い、誰にも相談せず、次の仕事も決めず、2年目に教師を辞めました。
再就職の条件は、自分の体を第一優先に
私の場合、体調を崩す最大の要因は、忙しさによる疲労です。仕事を辞めてすぐは教師時代の疲れが残り、体調不良もひきずっていました。でも、すぐに転職せず、しばらく休んだおかげで回復は早かったです。体調を整えてから、次の仕事を探し始めました。
新卒の就活では「1番目に、自分がやりたいこと」、「2番目に、自分の体調」でしたが、一度教師というやりたい仕事にも就けたので、2度目の就活では、体調第一で探すことにしました。具体的には、トイレのことを考えて「営業職以外」かつ「在宅の選択肢があること」を条件にしました。
ハローワークにも足を運びましたが、難病患者就職サポーターのいる専門窓口は利用していません。私の病気のことを知っているのは、基本的にお医者さんと家族だけ。それと少しだけお世話になった転職コンサルタント会社があって、そこの人には伝えました。
面接では基本的に、「病気のことは直接的には言わない。間接的に伝える」と決めていましたが、面接官とのやりとりがどう展開するか、その場にならないとわかりません。状況をみて「言っても良さそうだな」「条件的に自分の方が優位かもな」と感じ伝えてみた会社もありました。学生時代の就活面接の時と変わった点としては、職場環境について具体的に「3時間ごとにトイレに行けますか?」などは確認するようになりました。
そうこうしながら1年弱が経ち、現在の会社に就職しました。総合職のデスクワークで、週に3回は在宅勤務ができる仕事です。今の職場の人にも病気のことは伝えていません。振り返ると「面接の時に言ってもよかったかな。伝えていたほうが楽だったかもな」と思うことはあります。以前は、病気のことを隠したい気持ちがありましたが、今はもし「どうしてそんなに休むことが多いの?」と聞かれれば、病気のことを伝えたいと思っています。でも、案外聞かれないんですよね(笑)。
体調だけを考えたら、もっと在宅勤務が増えると楽だとは思います。でも、在宅だけではどうしても刺激が少なく、自分の成長のためには出勤して仕事することも大事だと感じています。年次を重ね、経験を積んでから、フル在宅勤務というのはいいかもしれません。だから、今の私には、在宅勤務を「選択できる」という職場環境がベストだと思っています。
自分の人生観も、日常の些細な幸せも、病気のおかげで気がつけた
発症してから約10年、30代を迎えた今振り返ると、学生時代の就活の頃が一番不安でした。「仕事が見つからなかったら無職になっちゃう…お金を稼がないと生活できない…」と焦って、何を優先すればいいのかがわからず、自分の体調を二の次に、仕事を見つけることを優先してしまいました。「もしあの時、無理していなければ、今みたいに再燃する体じゃなかったかもしれない」と思うこともあります。でも、あの時の私がその判断をすることは難しかったです。
学生の方であれば、一度は納得するまで就活することも大事だと思います。とはいえ、私は教師に固執しすぎてしまった反省もあるので、もし就活中の方がいたら、1人で考え込まず、視野を広げて仕事を探してみてほしいと思います。
病気になると健康のありがたみが本当によくわかります。若い時には当たり前すぎて気がつきませんが、健康って当たり前ではありません。私は今、体調が安定していることへの感謝や、何気ない些細な日常の幸せに気がつけるようになりました。「マイペースで生きる」という人生哲学のようなものも持てるようになりました。これらは病気のおかげで、気づけたことです。今は無理をせず、この仕事で欲張らず、自分の体調を第一に、働き続けていきたいと思っています。
仕事や暮らしと病気が、もっと楽に両立できる世の中に
患者の立場からみて「もう少しこうなったら助かるな、嬉しいな」ということが、いろんな場面であります。以下は、私の思いです。病気があっても働きやすい・暮らしやすい世の中に変わっていくことを願っています。
企業:「時間休」制度がもっと普及してほしい
仕事をしていると平日に通院することが、けっこう難しいんです。主治医の先生がいる日に行けず、違う先生に診てもらうこともあります。潰瘍性大腸炎は、ずっと付き合っていく病気なので、言いたいことを言い合える先生との関係性ってすごく大事です。そういう意味でも、いつも主治医に診てもらえるよう、「時間休」という制度が多くの会社に普及してほしいです。通院にとても便利な制度だと思います。潰瘍性大腸炎に限らず、どんな病気を抱えた人も当たり前に会社で活躍できるような環境が整ってほしいです。
病院:食事指導では具体的な商品まで知りたい
この病気は食事がとても大事です。病院でも栄養指導をしてくれますが、「どの栄養が大事で、食材ならこれです」という「食材」の指導までなので、もう一歩具体的に「商品」まで紹介してもらえると嬉しいです。例えば、病院と食品メーカー、スーパー、近所のデリなどが連携してサポートしてもらえたら、患者としてはすごく助かります。
行政:難病患者が受けられる割引情報をまとめて発信してほしい
難病指定の受給者証を持っていると、美術館・博物館の入館料や携帯電話の割引などがあることを、私はしばらく知りませんでした。そうした情報をネットでまとめてくれている方もいますが、やはり行政などの公的機関でまとめて発信してくれると、安心して活用できます。
公共施設:トイレの場所がすぐにわかるような案内を
誰にでもわかりやすい「ユニバーサルデザイン」は増えていますが、ショッピングモールや駅などの公共の場で、トイレの場所が「すぐに」わかるように提示してもらいたいです。潰瘍性大腸炎は、本当に急にトイレに行きたくなるので、あらかじめトイレの場所を自分でもチェックはしますが、どこにいても周りを見渡したら瞬時にトイレの場所がわかると、とてもありがたいです。
Aさん
30代女性。UC罹患歴10年。中学校の教員を経て、現在、中小企業の総合職。